FOR YOU

 

 あの日はエイプリルフールだった。正確に言うと、話をしているうちに日付を跨いでしまったので四月二日になっていたのだが、とにかく、ロナルド君から「お前のこと考えるとイラつくしむかつくし苦しくなる」とほとんど暴言のような告白を涙目でされたのは、間違いなく四月の一日だった。
 私は出会った時からロナルド君に対し、ありとあらゆる感情を持ってしまったが、彼から同量同質のものを貰えるなど端から望むべくもないと思っていたので、ほんの少し、いや大分驚いて死んでしまった。
 私が彼に持っているあらゆる感情を並べ立てるならば、友情、愛情、友愛、親愛、愛玩、愛護、愛着、愛執、恩愛、慈愛、純愛、性愛、渇愛、敬愛、恋慕、狂恋、執着、偏執、あとは……うん、まぁとにかくそんな感じだ。
 二百年そこそこ生きてきているので、それら目に見えずとも重さだけは確かなものを腑に落とすことなど、このドラドラちゃんにとっては造作もない事だ。そんなことよりも、この面白可笑しく美しく純粋で愉快な生き物との一時を生きることの方が、私にとって一大事だからだ。
 私にとってそんな存在であるロナルド君からの、愛の告白。さすがの私も動揺するとも。
 彼はまだ若く幼く、ついでに童貞なのだ。私にとっては赤子に等しい存在に、私は確かに情欲も持っているのだが、果たして彼が言っているものの中にそういうのが存在しているのか分からない。まして、男同士。二百年も生きてきて、しかも現代ともなれば性差も種族差も大した障害にはならない。それでも、事は慎重に運ぶべきだ。そのままでいた方がいいものだって、ある。
 なのでジェントルをちゃぶ台返しする勢いで、私はロナルド君に聞いた。私とどうなりたいのか、私をどうしたいのか、君はどうなりたいのか、君がどうしたいのか、と。
 結論として、ならば私も抱えている感情を、ほんの一片くらいならば彼に出しても構わないのだと至った。都合が良いと思われても構わないが、けどロナルド君の中には確かにあったのだ。心を通わせる、なんて陳腐な言葉に感動する日が私に来るなんて、夢にも思わなかった。
 それから四ヶ月。つまり八月までの間、私は私のやり方でその一片を惜しみなく彼に差し出してきた。しかしまぁ恋愛経験ゼロルド君は、そもそもその類のものの受け取り方を知らないのだから、何の進展もないのは仕方がない。寧ろ、一から懇切丁寧に教え、私の色に染めるのは本懐だ。手を繋ぐことも、キスをすることも、セックスをすることもなく、私はロナルド君に愛の受け取り方を何もかも全て教示したかった。勿論私専用に。
 私は来るべき日を、ロナルド君の誕生日にセッティングした。確かに名目上恋人になったのは、四月馬鹿を超えた先だったが、本当の意味で私たちが恋人同士になるのは、彼が一つ歳を重ねる日なのだ。

 

「っあー、あー……」
 八月九日。とっぷりと日が暮れた新横浜に帰ってきた私たち。ロナルド君は隣で喉を抑えながら声を出していた。昨夜までかっすかすになっていたのを、何とか普通に聞こえる程度まで回復させていた。回復力お化けかと思う。
「はー、これなら明日仕事できるか……」
「……」
 顔には出さないよう、ワーカーホリックの塊を横目で見ながら、私の中でたった一言がリフレインしていた。
 こんなはずじゃなかったのに!
 今すぐ頭を掻きむしりたい。ジェントルをあそこまでかなぐり捨てる予定なぞなかった。むしろ年上の恋人として、あの時までは最高の振る舞いだったと自負できる。そう。あくまで、ロナルド君に教えたかったのは、恋人としての振る舞いだった。セックスまでせずとも、少しずつ肌の触れ合いも出来たらいい。はっきり言ってそれほど私は性欲が強い方ではないから、二十代も盛りの童貞を相手にして、自分が挿入することなど、あと十年くらいはしなくてもいいや、くらいの気持ちだったのだ。えっちなことは、まぁしたかったが。
 それなのにこの若造と来たら、何故か私に抱かれる気満々で来たのだ。いやそんなん抱くでしょ。セックス、するだろ。
 その上私は、殆ど本能の赴くままに吸血までしてしまった。あの衝動は抑えようがなかった。大切に、慈しみ、育てて、彼の肉体が極上になったタイミングで、いつかそのうち吸血させてくれたら。そんなふうに思っていたのが、あんな、性行為の成り行きで吸血をしたことが、未だ自分でも信じられなかった。
 後から確認したロナルド君の首筋に残った咬傷は酷かった。私が人の吸血など滅多にしないことと、トんでた事が原因だ。手当はしたし、痕が残るほどではないと思うが。それにしても、高等吸血鬼的にあの噛み方はない。分かるやつがみたら分かる。そんな無様な噛み痕を、恋人につけてしまったのだ。
 ロナルド君はそんなことを露知らず、かりかりと服の上から首筋を搔く。
「こら、搔くな」
「え? あ、ああ」
 ああ、くそ、違う。ロナルド君のうじうじと悩む癖が移ったのだろうか。なので、私はつい自分の思考に没頭して、隣の恋人を放ったらかしにしてしまったのだった。
「……ドラ公、着いたけど」
「……は? え?」
 顔を上げれば、そこはドラドラキャッスルマークⅡだった。ビルとロナルド君の顔を見比べる。
「ご、ごめん。考え事をしてた」
「知ってる」
 デートの終わりに、もう一枚重ねた無様を自覚する。ああ、めちゃくちゃかっこ悪い。
「……あのさぁ」
「へ?」
 声をかけられ、顔を上げる。そして私の小指に、何かが引っかかった。確認しなくても分かる。ロナルド君の指だった。ロナルド君は私から顔を背ける。ぼそぼそと、まだほんの少し掠れた声が聞こえてきた。
「……ぜんぶ、くれるってさ」
「…………あ、あれ、は」
 私のぜんぶ。忘れていた訳では無いが、思い返して、当然言葉に詰まった。
 私の、君への感情。ぜんぶなんて渡したらきっと君が壊れると思って、だから見目の良いものを選りすぐって渡すつもりだったのだ。それが、初めてのデートで唇を奪って、処女も奪って、吸血までしてしまった。
 あんなものを、こんな美しい子に。
「あ、の、あれは……」
 ――けれど、ようやくこちらを向いたロナルド君は、やけに嬉しそうに口元をもにょもにょとさせ、双眸を輝かせている。その目の奥には青以外に、はっきりと欲と混じっていた。
「……ほんとに、ちゃんと、ぜんぶよこせよな」
 そう言って、ロナルド君は初めて、ロナルド君の方から私の唇にキスをした。
 触れたのは一瞬で、しかも口の端だった。ロナルド君はぱっと体を離して私に背を向けると、ビルの中に駆け込んでいってしまう。
 君の銃の腕前で、どうして外すんだとか、熱が下がったとはいえ本調子じゃないんだから走るな、とか、いくらでも返す言葉はあったはずなのに。
 いつもの新横浜で最後の最後、私は立ち尽くすだけの、たった一人の吸血鬼になっていた。声も上げられず、死ぬ事も出来ない、一人の男になっていた。
 
 それで漸く、もうとっくにぜんぶ、ロナルド君に、自分の全てをあげてしまっていたことを、自覚したのだ。

2025年3月16日