よいこのねどこ

 

 第三倉庫と書かれたプレートの上に貼り付けられている「ドラルク隊備品置き場」と手書きされた紙は、今やすっかり日に焼けて取れかけている。それを見上げて、ドラルクは手元のクリップボードに印刷された備品管理表の欄外に「備品室プレート注文」とペンを走らせた。
「隊長ー、これどこ?」
「はいはい」
 あの大侵攻から三日が経過していた。
 大規模作戦にはそれ相応の物資が必要で、今回総指揮にあたったドラルクはそれこそ新横浜署をひっくり返して高等吸血鬼達を相手取った。朝焼けと共に作戦終了した頃には新横浜署の物資は底を尽き果て、報告を聞いた署長はひっくり返らんばかりの様相だったそうだ。
 運び込まれるダンボールやコンテナを逐一開けて数を確認し、中に運び入れていく。
「何だこれ、申請した数と合わないじゃないか。ケチりやがって」
 全てがドラルクの望んだ通りに支給される訳では無いことは分かっていた。まぁいい、とドラルクは入力されていた数字に斜線を引いて実数を書き写す。たった一晩で一地方警察署に、常識的に考えられないような費用を投じることになった本庁から説明を要求されているだろう自身の上司の現状を想像すれば、悪態を吐きつつもつい口角が上がるというものだ。朝から晩まで責任を持つのが上のやることだ、とドラルクに叩き込んだ当本人が苦しむ様を実際に拝めないことは残念だったが。
「隊長、これどこですか?」
「捕獲用の道具はまとめて左手前の一番から三番を使って。使用頻度の低いものは奥に」
 そして、本日のドラルク隊は総出ですっからかんになった備品の搬入と整理に追われていた。資材部から運ばれてくる量はこれまでにない数に登っており、隊員全員が汗みずくになって整理と運び入れを行なっている。
 因みに随分前、これ程とは行かずとも大規模な倉庫整理をしていた際にぎっくり腰をやらかした事のあるドラルクは、隊員全員から「黙って数量確認と指示出しだけしていろ」と言われている。ドラルクはつと足元に置かれたダンボールを見下ろした。
「……」
 ダンボールの上にぽんとクリップボードを置いて、しゃがむ。胸ポケットに入ったネクタイを更に奥へと押し込み、下がりかけた袖をクルクルと巻き直す。そうして、天面に「麻酔弾」と記載されているダンボールの下に指を差し込んだ。
「ふんっぐ……!」
 ドラルクにとっては相当な重さではあったが、辛うじて持ち上げることくらいは出来そうだった。重たいものを持ち上げる時のコツを頭の中で思い出しながら実践を試みる。しかしそれは十センチほど箱が床から浮いたところで、中断されてしまった。
「何してんだよ」
 目の前に銀色が迫り、思わず眩しいと脳が錯覚してしまった。ぱちぱちと反射で瞬きを繰り返しているうちにドラルクの腕から重みが消える。
 荷物は呆気なく奪われて、マントとベストを脱いだ姿がくるりとドラルクに背を向けられた。視線を僅かに落とすとサイズの合っていないらしいドレスシャツの袖が雑に捲られており、袖の下にあった筋肉質な腕が見えた。
 三日前大侵攻の首魁とも言える吸血鬼、不死の王ロナルドは何か言いたげに僅かに振り返ったが、ほんの数秒にも満たない間、ドラルクの目を見返したかと思うとふいと顔を逸らしてしまった。
「これはどこに置くんだ?」
 視線も合わさないまま、三日前に山ほど打ち込まれたものが入っている箱を軽々持ち上げるロナルドは、ドラルクに対して天面に置かれたクリップボードをさっさと取るように顎をしゃくった。それに逆らう必要も無いので、ドラルクはありがとう、と言葉を添えてクリップボードを手元に戻す。
 今朝方VRCでの聴取と検査を終え、ドラルクの監視下に置かれたロナルドの第一声は「で? 俺はなにしたらいいんだ?」だった。人間に、それも吸血鬼対策課にこき使われるという状況をロナルドは平然と受容し、早速こき使えと言わんばかりの態度だったのだ。ドラルクは思わず「君、状況分かってる?」と聞き返したのだが、タチが悪いことにロナルドは自身の立場について、正確に理解していた。
「ええと……それは右奥の八番の棚に置いてくれるかね」
「うん、わかった」
 素直に、それも笑顔まで付けて頷いたロナルドはスタスタと備品室に入っていく。すれ違った隊員がややギョッとして、その後すぐドラルクの方へと困惑の視線を向けてくる。ロナルドの処遇については隊員全員へ何一つ隠すことなく通達済みではある。しかし皆が皆全員すんなりと受け入れられる訳では無い。それほどの驚異をロナルドは三日前に見せつけていたし、そして恐らく、ロナルドはそういった人間たちの心情や機微についても理解しているのだ。
「えっと、それ俺が持っていくぜ」
「あら、ありがとうございます」
 奥から戻ってきたロナルドは辺りを見回し、隊員たちの中でも話しかけてよさそうな者に声をかけていく。それは決して擦り寄りなどではなく、発した言葉だけが目的だった。重そうなダンボールを荷台に複数個乗せて運んでいた希美に断りを入れ、ひょいひょいと持ち上げたかと思うと、その姿がまた備品室の奥へと消えていった。
「……隊長」
「……」
「……隊長」
「えっ、あ、ああ? な、なんだね?」
「あとにく美ちゃんたちが運んでくれるもので終わりですよ」
「ああ、そうか。なら数量チェックを……」
「なぁドラ公」
 振り向くと、ロナルドの表情があっ、と困ったようなものに変化した。希美と話をしていたタイミングで声をかけてしまったことによるものだろう。ドラルクはちらと希美を見ると、やけににこやかに頷かれた。ぐっと喉奥につまるものを感じたが、しかし何も言わずに再びロナルドに向き直る。
「なんだね、構わないよ」
「あっ、その、ごめん。……あのさ、俺って……」
「ん?」
「俺も、ここ?」
「……は?」
 ロナルドはそう言って、プレートに貼り付けられている日焼けて剥がれかけた紙切れを指さした。意味が理解出来ず、ドラルクはロナルドを見返す。
「どういうことだね?」
「俺の寝床。俺って、お前の備品なんだろ?」
「……」
 平然と吐かれた言葉に対してドラルクは顔が引き攣りかけたが、なんとか必死に押さえ込んだ。集まる隊員達の視線の中で、果たしてなんという言葉を選ぶべきかを考える。
 確かに、ドラルク隊預かりになったロナルドに対してそう言ったのは自分ではある。しかしその実、本当にそのようにロナルドが扱われることを避けるため、ドラルクは方々に手を回し説き伏せだまくらかした末に、ロナルドを自身の手元に置いた、という裏話があったりする。その事を知っているのは極々限られた者のみだったし、当のロナルドはそんなことは知る由もないのだが。
 それにしたって、自分の身の置き所は倉庫かなどと聞いてくるのは、本当に、あんまりではないか。人でなしか何かだと思われているのかと過ぎったが、恐らくそれは違う。ロナルドは心底からここが自分の身の置き場所かと聞いているだけだ。それ以外には何も無い。ロナルドはそういう性質なのだった。
 ならばドラルクも、例えばロナルドを手元に置くために使ったような手練手管ではなく、事実をそのまま伝えなければならないということになる。正直に言えば、それはドラルクが一番不得手にする部分かもしれない。
「君は今日から私の家で暮らすんだよ」
「……へ?」
 ドラルクはなるべくにこやかな表情を作って見せたが、隊に身を置いて長い者なら理解出来るだろう声音を使うことにした。せめてもの意趣返しのつもりでもある。
「当たり前だろう。私が直々に君のことを二十四時間監視することになったんだから。因みにこの後は君がウチで暮らすのに必要なものを買い出しに行くからな」
「えっ、えっ」
 捲し立てるように言葉を吐き出しているうちに、隣の希美からやや呆れた溜息が聞こえてきた。何も言わないでくれよと内心で思いながら、ドラルクは更にロナルドに詰め寄った。
「君のものなんだから荷物持ちしてくれるよね?」
「う、うん……?」
 反論の余地など与えるつもりはない。物分りがいいというのは美徳として考えられるべきものだったが、ドラルクはどうしてかロナルドのそれには危うさしか感じられなかった。
「それと、夕飯のリクエストを考えておくように」
「ゆうはん……?」
 心底訳が分からないという顔をしているロナルドに、今度は自身が顎をしゃくって着いてくるように促した。品数の確認は部下に任せることにする。
「希美君、夕方には戻るよ」
「はい、お気をつけて」
 こうなったら今年度予算全部使い切るくらいをロナルドの生活物品に投じてやるというつもりで、ドラルクは備品一覧の挟まったクリップボードを希美に手渡す。そうして、手元のスマホにこっそり作っていた買い物リストの画面を出しつつ、未だ状況が分かっていないロナルドを連れて歩き出した。
「まずは君の身体に合うシャツ、買いに行くぞ。ずっと会った時から気になってたんだ。それと寝具はいいものをだな……」
 そこまで言って、そういえばロナルドは吸血鬼であり、棺桶というものがあることを思い出す。しかし、まさかロナルドに棺桶の場所を聞く訳にも行かず、ドラルクは閉口せざるを得ない。
「?」
 覗き込んでくるロナルドは心底から不思議そうな顔をして首を傾げる。そのやけにあどけない表情を見た瞬間にドラルクは内心で開き直った。倉庫なんぞで寝ようとしていた吸血鬼が相手なら、自分が寝床を設えたって構わないじゃないか、と。